『ケララ秘伝
暮らしのアーユルヴェーダ』
伊藤武・田村ゆみ共著
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『アーユルヴェーダと〇〇 vol.1 パンチャカルマ基本編』
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「アーユルヴェーダ発祥の地」と古典に書かれているヒマラヤ山脈。
その場所で息づくアーユルヴェーダというヒントを探すうち、キーワードとして頻出したのがチベット医学でした。
「(チベット医学を教える大学)メンツィカンのコースで学ぶ。その前に、診察やトリートメントを受けて体験する。」
そんな目的を携えて、ダラムサラ(ダラムシャラ)という場所に来ました。
この町には、チベットの亡命政府があります。
中国に国を追われ、10万人を超える亡命チベット人がインドに暮らしています。
メンツィカンでのクラスが始まる前に、学校までの道を下見しに行きました。
AROUND INDIA田村が滞在していたマクロードガンジは山の上にあり、メンツィカンへは山を下っていきます。
メンツィカンの近くに、小さな食堂を見つけたので、チャイを飲むことにしました。
小さなお店なので相席。一緒になったのは、47歳のチベット人男性。わたしと同年代でした。
彼はチベットから亡命して、25年前にインドに来ました。
27年もの間、ご家族に会えていないそうです。
2年間ブランクがあるのは、チベットの家を出てからインドに着くまで、長く厳しい道程を、捕らわれてしまう恐怖や、零下の凍える寒さなどと戦いながら、希望を求めて歩いてきたから。
チベットに残してきた家族。お父様は、5年前に亡くなったと言います。
彼は自らの人生を「良くない。わたしの人生は良くない…。」と、悲痛な面持ちで繰り返していました。
「ここまで長い時間、戻れない状況になると思わなかった」
「若さで出てしまった」と。
ほとんど持っていない、お母様と妹さんの写真を見せてくださいました。
携帯のアルバムをかなり遡っていたので、きっと何年も昔のお写真。
背後に写ったご実家は、精巧な木彫りの装飾が施され、本来ならば裕福だったであろうように見えました。
彼は言っていました。
「自分たちはチベットに戻ることも連絡を取ることもできないけれど、日本人のようにビザを取れる人、チベットに行ける人たちが、現地で見たり聞いたり撮してきた現状を教えてもらうことが、自分たちにとってとても助かっている」と。
チベットでは、中国語が強制され、学校では中国語の次の選択肢は英語なのだそう。
ダラムサラやラダックには、チベット文化があるけれど、本来のチベットだった場所では、文化はほぼ消されつつある。
その中には、もちろんチベット医学も含まれていて、本来ここにあるべきものではなかったチベット医学の中心地が、今インドにあるということ。
ずしりと重く響きました。